乱暴に言ってしまうと、刑法に規定された犯罪を犯した者を裁く刑事裁判と違って、ほとんどの民事裁判というものは「お金に関すること」です。
貸したお金を返せ、壊したものの価値を弁償せよ、離婚で痛んだ心情を慰藉するため慰謝料を払え、ミスによる損害を賠償しろ、、、などなど。
すべてのことをお金に換算して争うのが民事訴訟と言ってもいいでしょう。
相手方に「侮辱したから土下座して謝罪しろ」という訴えは裁判として成立しません。
だから「名誉毀損でいくらの金額を支払え」と訴えます。
せいぜいこれに付随させて、「謝罪の広告を出せ」とか、「訂正記事を掲載しろ」ということになります。
民事訴訟ではこれはオマケと考えていいのだと思います。
土下座や謝罪するというのは程度もあります。
相手がどう謝罪すれば満足するかは客観的には決められません。
こう考えると、あまり「謝罪広告」というものは判決に取り入れられることが少ないようです。
これはその「広告の金銭的価値」があまりに曖昧で、賠償請求にしたらどの程度になるか換算できないからなのだと思います。
「謝罪広告はお金に換算しにくいから使えないから」と考えることできます。
逆に「訂正記事」というのはよく聞きます。
誤った情報を掲載してしまい、それを訂正して記事とせよということです。
この場合、慰謝料がどのくらいであるべきか客観的に決められない場合、記事の訂正によって修正できるのであればそうすればよいということです。
矛盾しているようですが、この場合「誤報はお金に換算しにくい被害の場合があるから、直接、記事訂正を出させる判決とする」ということになります。
たいていのその訂正記事にはたいした謝罪がないのも事実です。
お金に関する争いでないとしても、お金に換算する。
これが民事訴訟の基本といえます。