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改 四号請求訴訟のブログ

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訴訟の影で 弁護士


 このことはどうしても書かなくてはならないと思うことです。



 私はある方に心から感謝をしています。

 その方は堀輝彰先生という弁護士のことです。




 私は国立の訴訟で住民が訴訟提起し、元市長上原氏が逃げ回り、議会を使った政治的な手段すら使って自らの責任からひたすら逃れようとしていた姿を見ました。
 そしてそれを見逃しにしなかった国立市民の方々を知りました。


 国立住民訴訟原告の方のブログを見て、連絡は取ってみましたが、ご返事はありませんでした。
 今思えば、こちらも気持ちが急くあまり、いきなり「力を貸して欲しい」というメールをお送りしてしまいましたから、それはムリもなかったかもしれません。

 これら住民有志の訴訟を経て、国立市は元市長に勝訴したのです。



 私は国分寺市で住民訴訟を提起する前に、まずこの国立の訴訟を調べてみることにしました。
 


 その国立の住民訴訟の訴状を読むと、堀輝彰先生という弁護士が代理人になっていたことがわかりました。
 取り寄せた訴状や準備書面からは、高い法意識を持った弁護士であることが伺えました。




 情報開示請求をして文書を取り寄せ、訴訟の文書を見てゆくと、私はまるでそこにいるように堀先生の論陣と主張、正義へのお気持ちが伝わって震える思いがした覚えがあります。

 すぐに今回の住民訴訟で依頼したいと探してご連絡をしてみましたが、残念ながらその時にはもう故人になられていました。



 亡くなられていたことはとても残念でしたが、堀先生の準備書面と主張を拝見してゆくうち、勇気をいただきました。
 訴訟の準備をしてゆくにつけ、堀先生に助言を受けた気がします。


 それこそ、堀先生とは面識など一切ありませんでしたが、準備書面から読める前国立市長の行なったことへの追求とその主張には敬服するものがあったのです。



 私にはまるでそこにいるようでした。



 この当時はよく、「堀先生ならこう主張するだろう」ということを想定して色々と考えていた記憶が私にはあります。


 裁判というものは、一種の「戦い」です。
 まず、裁判というものは私たちのことを全く知らない裁判官に向けて説明しなければなりません。
 この土地を知らず、前後関係や事実、因果関係さえ全く知らないのです。
 そこに事件を説明をし、こちらの主張を分かっていただく必要があります。
 そしてこちらの主張を法的な面から整理した「訴訟構成」を考え、相手の言い逃れや反論を想定する必要があります。
 私はそれこそ、被告の抗弁の可能性を想定してフローチャートすら作成したのでした。


 そういう孤独な作業にあって、堀先生の準備書面、国立での訴訟資料はとても勇気付けられるものがあったのです。
 私には、行政が暴走しがちなことや首長という絶対的とも言える権力、そういうものに異議をする堀先生の姿が見えたような気がしたのです。







 今回の判決を得て、改めてここに堀輝彰という弁護士に対し、私はご冥福を申し上げ、心よりの感謝と敬意を表わすものです。



 ありがとうございました。

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訴訟に至る最初の発端.3


 市民オンブズへの相談では、「これは急ぐかもしれない」という話になりました。


 実はこれはちょっとした勘違いだったのですが、国分寺市が賠償金の支払いをしてからこれまで時間がたっていて、「公訴時効」になるかも知れないということで急いで行動を起こさなくてはいけないということになりました。
 もちろん、これまでの間、「星野前市長に弁済させる」という動きはどこからも起きなかったのです。



 そこで私は急いでこの事件を調べることにしました。
 パチンコ事業者とのいきさつ、議事録、文書、訴訟書類の一切を調べることです。
 取り寄せた書類はダンボールひと箱分。およそ二千ページになるものでした。
 この時、国分寺市の情報開示担当にはただならぬ労をおかけしたと思います。


 もちろん、当然、それだけのことを情報開示を頼んでおきながら訴訟に踏み切らないことはあり得ない。私はいよいよ覚悟を決めざるを得なくなったのです。


 そしてまた訴訟になった場合のことを調べ、国立の事件と四号請求訴訟について調べました。
 これもまた膨大なものでした。
 私はそうして、どんどんと本件に関わっていくことになってしまったのでした。


 当時はほとんど寝る暇がなかったほどでした。




 私は同時に、すぐに現在の市長の井澤邦夫市長にお手紙を書きしました。
 まだ住民訴訟提起の覚悟が固まっていなかったかも知れません。


 そして、「すぐに星野前市長に弁済の請求をしていただきたい」そう申し上げたのです。



 井澤市長も事件当時、議員として全員一致の条例可決に応じていました。

 実はその前に「代表者会議」という議会の調整部会というものがあって、星野前市長からそこに大きな働きかけがされているのですが、この時はそれはまだ私は知りませんでした。

 井澤市長からお手紙へのご返事はありませんでした。



 
 その後、私はとうとう住民監査請求を経て住民訴訟に踏み切る決心をします。


 私は再び「市長への手紙」という制度を利用して井澤市長にお手紙をしましたが、その時は「監査請求をしているから答えは控える」というものでした。


 訴訟提起になるとネットで検索をし、図々しくも阿部泰隆先生にご連絡をいたしました。
 今思えば、これは正直に言ってとんでもないことでした。
 知らないとは言え、「巨人」に私は軽々しくご相談をしてしまったのでした。なんということをしたのかと思って、思い出すと顔から火が出る思いです。
 そして行政訴訟を専門に扱われている「行弁ネット」というものもご紹介していただきました。これには感謝に堪えません。


 阿部泰隆先生もまた、日本の地方自治にとってなくてはならない存在だと思っています。




 私は考えてみれば、実に多くの方の助けをいただきました。


 ここに私は心から感謝を申し述べたいと思います。

 ありがとうございました。






 ところで、井澤市長からの回答があったように「監査請求中のことであるから返答は控える」とか、先だってご紹介したように市議会での「本件は公判中であるから質問はなしに願いたい」というような、この言い方にはとても違和感があります。
 よく言われるこのような対応は、こと住民訴訟について言えばいかがなものでしょうか。


 「訴訟になったようだからコメントは差し控える」というのはあくまでマスコミからの取材に対してひとまずコメントを避ける常套句でしかないと私は思います。


 少なくとも、行政執行のトップが「これは弁護士に任せているから」などと何でも丸投げしてしまうようなら怖いことです。

 この点を考えるにつき、行政はコンプライアンスにもっと注意を払うべきだと私は今でも思っています。

訴訟に至る最初の発端.2


 私は星野前市長に手紙を書きました。



 そして、国立市長が市が支払った賠償金の弁済を求められた事件で、最高裁で元市長の敗訴が確定したことを書きました。
 現職ではないとはいえこのまま放置することは許されるべきではないこと、少しでも弁済をしていただき、その上で会見を開いてくださればよいのではないか、晩節を汚されることのないようにすべきではないかと、私は星野前市長宛のお手紙に書いたのです。



 この時は私はまだ詳細な事実確認ができていませんでした。
 「議会も条例可決をしているからこの営業妨害に関与しているのか?」
 「だから議会では損害賠償金の支払いについて問題にしなかったのか?」
 「国分寺市の広報にも詳細な報告はまるでなかった。議会も共同正犯だったのか?」

 こんな風に想定して考えていました。

 だから、私は星野前市長にはこんな風に申し上げたのです。



 「もし星野前市長が「議会にも責任がある」とお考えなら、まずはご自分の負担分を自ら弁済し、そして会見すればよいのではないか」そう書きました。



 確か内容証明郵便でお送りしたはずです。

 そのお手紙に対するご返事はありませんでした。
 もちろん差出しは匿名ではありません。





 そして、次に私は、「市民オンブズパーソン」という市の制度を頼って相談をすることにしました。

 市民相談に応じていただけたのは弁護士の方でした。


 弁護士さんは私の問題意識をよく汲みとっていただけ、お考えを述べられました。
 思えば、私の背中を押していただいた方のひとりでもあります。
 国分寺市の利益になるよう考えておられたと思います。


訴訟に至る最初の発端




 さて、本件住民訴訟とは直接は関係がないお話になりますが、この訴訟を二年前に提起することになった直接のきっかけについて少しお話をしようと思います。



 本件住民訴訟の提起をしたのは、もちろん直接には「他力本願はよくない」というようなご批判があったこともありますし、誰もしないなら自分がやらねばという使命感もありました。





 しかし、直接の最初の発端は、あるひとつのニュースからでした。


 それは国分寺市のお隣、東京は国立市で起きた事件でした。

 その元市長上原氏は違法な執行を行い、国立市は事業者に賠償金を支払うことになりました。そしてその「市が代位して払った賠償金」について住民から四号請求を起こされ、結果として求償されその支払いを弁済させられたことになった事件でした。

 私にはまるで同じ構図のように思えました。



 この「国立マンション訴訟」と市長への求償事件のあらましについてはネットの検索で他の記事におまかせするとします。

 その後のことになりますが、この元市長が自分で弁済に応じることもなく、募金でこれをまかなったという、政治家としてあまりの不誠実さと無責任もありました。よくも悪くも大いに注目されるニュースだったのです。




 ともかく、政治が責任を取るものだということ、その言葉は飾りではなく、日本の法治主義がまだ機能していることを知ったのはこれがキッカケでした。


 そして私は求償権というもの、「市の財産管理を怠る事実」というもの、住民訴訟で市民の受けた損害を取り戻すことが出来るということを知ったのです。



 そして調べてみると、国分寺市で起きた事件はこれよりずっと単純で、暴力的で、身勝手で、とても行政の執行長とは思えない執行であったことを知りました。



 そして、私がまずやったことは、星野前市長に直接お手紙を書いたことでした。



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