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改 四号請求訴訟のブログ

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監査請求はなぜ住民訴訟の前置条件なのか

 「怠る事実」を訴えたことで、監査請求は棄却されても請求したという前置条件は成立しました。
 住民訴訟を起こすための条件はクリアされました。

 監査請求を棄却することは司法による判決ではありません。
 ただ市の監査役が棄却と言う判断を出しただけということになります。
 だから、私はこれを不服として住民訴訟を起こし、裁判所でなぜ市は前市長に損害賠償させられた金を弁済するよう請求しなければならないのか、これを立証して争うことになったわけです。

 このところは少し難しい点なのか、市の弁護士は「市の監査請求で棄却しているから住民訴訟は無効だ」みたいな主張をしていました。
 これ自体はとても法律の専門家とは言えない主張ですけれども、どうして住民訴訟する前にわざわざ監査請求する必要があるのか、監査請求が住民訴訟の前置条件となっているのかひとつのヒントを与えてくれます。
 つまり、「住民訴訟は市と住民が互いに反対の立場をとって真実を明らかにすること」だからです。
 ゴングを鳴らす代わりに、監査請求を棄却して、これで住民と市側は反対の立場を取りますよと、法的にはそう考えることもできるのです。
 もちろん、たいていの監査役は「事なかれ主義」というだけで、そんなことを考えてはいないと思いますけれども。
 この法理的な解釈が正しいことは、住民訴訟の裁判になって監査請求の結果やその審議の過程などまるで問題にならなかったことでも明らかです。

 「監査とは何か」以上に述べた簡単な解釈は、これに一定の理屈がつけられるものだと思います。


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「怠る事実」とは


 私の場合の監査請求でも理由としましたが、現在、前市長に対して違法な執行の結果、穴が空いてしまつた市の財政について、市が請求をしていない「違法な理由」というものを「怠る事実」と言います。


 「怠る事実」とは、「市が市民より付託されたその財産管理について、充分な管理をしていず、(前市長に請求していないことをもって)その管理を怠っている」という事実がある。

 そのようなものです。



 普通、予算や執行に違法性があったとしても、通常の違法な支出についであれば、短い時間の間に監査請求や住民訴訟をしなくてはなりません。

 しかしこの怠る事実というのは長期にわたって市が財産管理をしていないことなので、公訴時効まで10年の猶予があります。

 また、「これだけの違法性の高い支出が行われていた」ということは知らなければ請求することは出来ませんから、「それを知ったときから」とされています。



 「怠る事実」とは、市がこうした誰が市の財産を毀損させたのか、法的にその責任は明白なのか、それを知っていながらこれを弁済させないことです。

 私の訴えた住民訴訟も、事業者から訴えられ違法な執行は明白になっていますので、これを弁済させないままでいることは財産管理を怠っていることになります。
 

 すなわち、これを「怠る事実」というわけです。


 「怠る事実」とは、前市長が自分でやつておきながら自分で責任を認めず沈黙し無視し、賠償請求されたカネを返していないのに、市はこれを問題視せず返還請求をしない「状態」のことなのです。

 「すべきことをしないで、その状態を放置しておく」、つまりだから「違法である」という脈絡へと続きます。

 民事の一つなので、違法であるという判決をしなければいけません。

 何をもって違法とするのか、やはりその理屈が判決にも必要なのです。

 「請求しろ」「よし請求させなさい」、これでは司法判断ということにはならないのでしょうね。



監査請求とはこんなもの


 住民監査請求にどんな対応がされるのか、漠然としていてすぐにはイメージが分からないと思います。


 そもそも、監査というのは自治体で行われるものはとても甘いものです。

 監査請求に対する判断、これを「監査措置」と言いますが、これも理屈の立っていないままのことが多く、裁判所のような体裁をしていながらまるで法律に立脚もしていません。


 民間の監査でしたら、監査に疑義などあればそれこそ会社が傾くぐらい厳しいものがありますが、自治体での監査と言うのは慣れあいと事なかれ主義に染まり、ほとんど機能していません。

 例えば、ごく手続きの問題で監査に当たって、「当事者が監査人になっていて、利害関係者が監査人になっているから除斥せよ」と主張しても、これを認めることはなかなかありません。
 これだけでも問題です。

 私が行った国分寺市の住民監査でも、当時議員だった人が副監査役でしたから、不適当なのではないかと指摘してもなしのつぶて、問題ないとの回答でした。
 この主任監査役というのは弁護士なのです。


 こういう監査が甘いということは、自治体の「コンプライアンス」にとっては致命的とも言えるほどのものです。



 他の具体例をお見せします。

 以下は世田谷区が東京都に対して監査請求を行った時の書類です。


 この統一地方選の時期で、とても注目すべき内容ですのであえてご紹介しようと思います。


 内容というのは、選挙のポスターに対して候補者は公的助成が得られるのですが、これに対して、助成が本来は得られないハガキ印刷代など他の印刷も込みにさせ、印刷屋と結託して過大に請求している議員がいると新聞報道されたことが発端になります。
 いわば水増しして請求していた疑惑があるわけです。

 そこで世田谷区が調べると、名前の挙がった議員だけでなく、多数の議員がこの不正に関与している疑いがありました。

 世田谷区はこれを東京都に監査請求します。
 「この返還請求を都議選ですので東京都がやりなさい」という請求でした。
 住民でなく区がやるという以外には違いはありません。



 以下のPDF書類には監査請求の中身と、それに対する監査役の回答が載っています。
 
 これは住民監査請求そのものではありませんが、世田谷区が東京都に求めた監査であり、住民監査請求と性質は同じです。

 裁判の判決文のような体裁にして、まず監査請求があったその中身を掲載し、続いて監査役からの回答を掲載し、「監査措置をする」、つまり監査結果を下すという体裁になっています。


東京都監査委員へ

http://www.kansa.metro.tokyo.jp/PDF/08jumin/19jumin/19jumin04.pdf


 これを読んでいただければわかると思いますが、監査結果、その監査役の判断というものは極めて一方的で、理屈も納得のできないまるでおかしなものです。

 「疑わしい」という理屈と論証まで世田谷区がしているのに、「議員に聞いてみたが違うと言っている」とそのまま議員の言い分を正しいことにしています。
 単なる証言に過ぎない言い訳にすぎないものを根拠もなく証拠として採用しています。

 疑わしいという理由はない、という判定も、論理的なものですらありません。


 まるで腰が引けていて、これでは「監査役などいないも同然ではないか」というのが誰しもの感想ではないでしょうか。


 残念ながら、自治体のコンプライアンスはまだ未成熟と言わざるを得ません。


 こういう監査役になった弁護士が、波風を立てないようにして、いつまでも毎年同じように選ばれようとするというのも問題の原因でもあると思います。


 

住民監査の結果


 この監査請求の結果はやはり曖昧なもので、前市長に請求するには当たらない、しかし市民には説明しておけばよかった。などという漠然としたものでした。

 「市民には説明しておけばよかった」という部分は副監査役を務める議員さんが付け加えさせたものでしょうが、全体としてはとにかく請求などしたくない、市長の責任など認定したくない、そんな結果でした。



 なぜ市長に請求する必要がないのか、その明白な説明はありませんでした。もはや言葉遊びのレベルだったので今はよく思い出すことさえできません。



 だいたい、前市長に請求をして裁判で前市長が申し開きをし、争えば法廷で弁済すべきかどうか決着がつくのです、市が前市長に請求して損になるということはありません。
 これをなぜ請求しないのか。


 その理由として、もし正当とできる監査結果があるとすれば、例えばこう書けるでしょう。

「これこれの部分はこれこれの理由で疑わしいものがあって、市としては確信をもって請求することができない。よって、みだらに訴訟を濫用することになるので請求はできない」

などとして棄却すべきなのです。


 もちろんそれにしたって、それなら住民訴訟を報酬もないのになぜわざわざ住民に任せて、誰もやらなければそのまま通ってしまうのか、分かっていることをなぜやらせるのか、無責任ではないか、住民側も反論はできるでしょう。
 しかし、そこは「訴訟をみだりに行なわないため」としているので、住民が立ち上がらねばならないということになるでしょう。

 しかし本来やるべきは議員でしょうけれども。


 私の場合、監査役はそんな判断は示しませんでした。
 「前市長に請求するには当たらない」これだけでした。
 ことなかれ主義としか言えません。



 監査役はこの時、私にこの請求について説明する機会を与えるなどと言いました。
 もちろん、形式的に許されているものなのです。

 弁護士によれば、これはよくある時間稼ぎに過ぎず、私が弁論が得意でなければそれをもって棄却の理由にしてくるだろうし、そもそも相手にする必要はない。
 監査がどんなに言葉を尽くしても、その決定には法的拘束力はない。

 そもそも、市がやったことを知らないはずはない。
 自分たちでやったことを調べもしないで住民に説明させ、請求させようという魂胆である。そんなことが見えてきました。


 私は住民訴訟に踏み切ることになりました。

 成り行きに任せていたら、どうしようもなく自分が立たなくてはならなくなったのです。

 私は、「市は前市長に請求せよ」という訴訟の原告となったのです。



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