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改 四号請求訴訟のブログ

判決トピック、立証責任


 今回の住民訴訟では注目される多くのことがあったと私は思っています。

 私としては星野前市長の違法行為の動機の解明と、これまで見過ごされてきた「市長部局による文書の改ざん」を発見できたことが大きなものでした。
 これにより、「星野前市長が違法行為に及んだ動機」と「議会がこれに応じて条例を成立させたキッカケ」について説明がつきましたし、市長の専決処分濫用に対する惧れということと相俟って、事件について一定の解明できたと思っています。

 しかし、これは判決としては直接取り沙汰されることはありませんでした。


 「訴訟とはそういうものだ」と言ってしまえばそうなのです。






 しかし一方で、今回の判決にも注目される点がありました。

 「すでに市は損害賠償金を支払った時点で星野前市長に求償権があることを知り得たはずである」という判示があったことです。

 
 被告の市側弁護人が展開した主張に対するものなのですが、この部分への言及はまさに四号請求の原理そのものであったと私には思えます。

 被告は次のような主張をしています。
 それは、
「市は確たる証拠を入手できなかったのだから、被告である国分寺市は財産管理を怠っていない」という趣旨の主張でした。



 これに対して判決は、「すでにパチンコ事業者に賠償させられた段階で求償権の発生を知り得ていたはずである」として、これを否定しています。



 これは考えてみればその通りで、賠償金を支払っておきながら、その違法行為の原因が分からない、議会だか市長がやったのか判然としない、なぜ賠償金を払うことになったかよくわからない、しかし市のお金は出ていきその理由はわからない、そんなことはあり得ないことないのです。

 「誰がやったのか分からないのに被害だけがあり、その認定と支払いはされている」
 そんなことはあり得ません。



 そして私からすれば、加えて「今こうして住民訴訟で争っているうちにも求償権が存在し、財産管理を怠っていることを知り得る材料となっているではないか」とも主張したい部分ではありました。




 つまり、「市には前市長への求償権がない」などという主張をするというなら、市にはその立証責任が強くあるのだということです。
 そしてそれは、「求償権があるとは必ずしも言えない」などという曖昧な主張では済まないということです。
 「これこれの理由で求償権は存在しないのだ」と、被告となった市が明確に立証すべきなのです。
 被告代理人弁護士はそれをほとんどしませんでした。


 なにより、住民などより行政当局である市はそれを容易に調べることが出来るのです。
 被告が引用した最高裁判例は、そもそもそれを判示したものであると私は指摘したのでした。


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