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改 四号請求訴訟のブログ

訴訟に至る最初の発端.3


 市民オンブズへの相談では、「これは急ぐかもしれない」という話になりました。


 実はこれはちょっとした勘違いだったのですが、国分寺市が賠償金の支払いをしてからこれまで時間がたっていて、「公訴時効」になるかも知れないということで急いで行動を起こさなくてはいけないということになりました。
 もちろん、これまでの間、「星野前市長に弁済させる」という動きはどこからも起きなかったのです。



 そこで私は急いでこの事件を調べることにしました。
 パチンコ事業者とのいきさつ、議事録、文書、訴訟書類の一切を調べることです。
 取り寄せた書類はダンボールひと箱分。およそ二千ページになるものでした。
 この時、国分寺市の情報開示担当にはただならぬ労をおかけしたと思います。


 もちろん、当然、それだけのことを情報開示を頼んでおきながら訴訟に踏み切らないことはあり得ない。私はいよいよ覚悟を決めざるを得なくなったのです。


 そしてまた訴訟になった場合のことを調べ、国立の事件と四号請求訴訟について調べました。
 これもまた膨大なものでした。
 私はそうして、どんどんと本件に関わっていくことになってしまったのでした。


 当時はほとんど寝る暇がなかったほどでした。




 私は同時に、すぐに現在の市長の井澤邦夫市長にお手紙を書きしました。
 まだ住民訴訟提起の覚悟が固まっていなかったかも知れません。


 そして、「すぐに星野前市長に弁済の請求をしていただきたい」そう申し上げたのです。



 井澤市長も事件当時、議員として全員一致の条例可決に応じていました。

 実はその前に「代表者会議」という議会の調整部会というものがあって、星野前市長からそこに大きな働きかけがされているのですが、この時はそれはまだ私は知りませんでした。

 井澤市長からお手紙へのご返事はありませんでした。



 
 その後、私はとうとう住民監査請求を経て住民訴訟に踏み切る決心をします。


 私は再び「市長への手紙」という制度を利用して井澤市長にお手紙をしましたが、その時は「監査請求をしているから答えは控える」というものでした。


 訴訟提起になるとネットで検索をし、図々しくも阿部泰隆先生にご連絡をいたしました。
 今思えば、これは正直に言ってとんでもないことでした。
 知らないとは言え、「巨人」に私は軽々しくご相談をしてしまったのでした。なんということをしたのかと思って、思い出すと顔から火が出る思いです。
 そして行政訴訟を専門に扱われている「行弁ネット」というものもご紹介していただきました。これには感謝に堪えません。


 阿部泰隆先生もまた、日本の地方自治にとってなくてはならない存在だと思っています。




 私は考えてみれば、実に多くの方の助けをいただきました。


 ここに私は心から感謝を申し述べたいと思います。

 ありがとうございました。






 ところで、井澤市長からの回答があったように「監査請求中のことであるから返答は控える」とか、先だってご紹介したように市議会での「本件は公判中であるから質問はなしに願いたい」というような、この言い方にはとても違和感があります。
 よく言われるこのような対応は、こと住民訴訟について言えばいかがなものでしょうか。


 「訴訟になったようだからコメントは差し控える」というのはあくまでマスコミからの取材に対してひとまずコメントを避ける常套句でしかないと私は思います。


 少なくとも、行政執行のトップが「これは弁護士に任せているから」などと何でも丸投げしてしまうようなら怖いことです。

 この点を考えるにつき、行政はコンプライアンスにもっと注意を払うべきだと私は今でも思っています。

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