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改 四号請求訴訟のブログ

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監査請求と住民訴訟

私は四号請求をした原告です。


 まず私は市に住民監査請求というものをしました。

 これは自治体内部で監査する機関があって、住民は「違法な」お金の使い道について異議を申立て、検証と補正を要求する制度です。

 もちろん、内部的な機関にすぎませんので、これで異議を申立てたからと言ってたいていは動いてはくれません。
 ことなかれ主義が蔓延し、せいぜい毎年の市の予算関係でのチェックがされるというぐらいです。

 市長が違法と認定された執行を行なった、その賠償金を支払ったのは市長の責任である。
 こんな道理上も筋の立っていることで監査請求をしたとしても、監査請求をして監査役が市長にすぐさま賠償請求するというのはごくまれなケースです。

 調べてみると、潮目が変わっていたマスゾエ東京都知事への監査請求で、マスゾエ氏がリムジンを私用に使って野球観戦や美術館めぐりをしたということで100万かそこらの金額が請求せよと監査請求されましたが、この場合はすぐに監査役からマスゾエ知事に請求されていました。

 もちろん、ここでマスゾエ氏が拒絶すれば住民訴訟どころか、都が直接請求を訴えることになったはずです。
 政治的にも大きなマイナスとなったことは想像にかたくありません。



 この申立てというものは、市の予算や財産に関しての「違法な」ものに対してではなくてはなりません。

 例えばこのマスゾエ知事のように首長が違法な支出を行なったとか、市が違法な支出を行って、その執行責任が首長であるとか、そのような理由でなくてはなりません。

 

 政策執行が「不平等である」とか、「不公正である」とか、要するに「不満」であっては監査の対象にはなりません。
 異論があるとしても、そのような異論は民主主義の手続きから議会や議員らによって調整されているものですから、政治的な議論や主張、そうしたことがいくらあったとしても、監査請求をすることはできません。
 もちろん、監査すること自体はできますが、却下されます。



 そして、この「お金の使い方」について違法なものがあったと住民監査請求し、その住民監査の結果、この措置について不満がある場合、住民は住民訴訟に踏み切ることが出来ます。

 あらかじめ住民監査をしていないと住民訴訟することはできません。
 もちろん、訴訟することはできますが、棄却されます。

 「監査請求は住民訴訟をするための前置条件」

 とされています。

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弁護士と住民訴訟



私も住民訴訟と言うことで弁護士さんを探しました。
ところが住民訴訟を受任してくれる弁護士さんというのは実に少ないです。



 弁護士さんというのはどの分野も手がけます。

 医者なら眼科医が盲腸の手術はしませんが、医師免許としては同じものです。

 弁護士の場合はこのところがハッキリしません。

 離婚が一番件数としては多いので離婚が出してあって、そして得意分野や専門が少しほのめかしてあるだけ。
 問い合わせないと実際に受けてくれるかどうかはわかりません。

 よく見えないのです。



 住民訴訟を手がけたことのある弁護士は多くありません。

 どうしても訴訟の原告はボランティア的な立場にもなりますし裁判自体が少ないということもあります。


 たいていは引き受けてはくれないのですが、彼らはそれでも「民事訴訟」とか「行政訴訟」と、看板はあったりします。

 間違ったことをされたと国会賠償請求をするのは簡単に見えても、市長が自治体に損害を与えたような場合、この求償をするとなるととたんにわかりにくくなります。



 特に四号請求は難しく、経験のない弁護士さんにこの趣旨を理解してもらうのは骨が折れます。

 前にも書きましたが、「第三者への求償だろう。そんなことは簡単で分かりきっている。」とされても困るからです。

 頭で理解しても応用が利かないのでは理解できていることにはならないのですから。



行政と司法の関係から


 「民事訴訟はお金に関すること」

 行政訴訟はこの点が大きく異なります。


 行政の行ったことを訂正させたり、やめさせたり、撤回させたり、行政措置の効力を無効なものとさせたりします。


 三権分立を考えれば、実によくできている関係にあります。



 そして、四号請求にあっては、住民訴訟によって市に「市長へ請求させる」ということが争われます。

 判決は「請求しなさい」であり、「請求しないことは違法である」となります。

 つまり自治体に対して措置の法的裏づけを与えるという判決になります。



 本来なら法令法規に準じてすべき行政行為なのですが、これを逸脱した場合、間違った場合に、法治主義という意味でこれを是正させるわけです。




 だから、行政訴訟、とりわけ住民訴訟というのは民事にはあまり見られない争いなのだと言えます。


 逆に個人間争いとなる民事訴訟でも、親権というあまりお金に関係のない部分を争ったりすることはありますが。


民事はお金に関すること

 
 乱暴に言ってしまうと、刑法に規定された犯罪を犯した者を裁く刑事裁判と違って、ほとんどの民事裁判というものは「お金に関すること」です。

 貸したお金を返せ、壊したものの価値を弁償せよ、離婚で痛んだ心情を慰藉するため慰謝料を払え、ミスによる損害を賠償しろ、、、などなど。


 すべてのことをお金に換算して争うのが民事訴訟と言ってもいいでしょう。


 
 相手方に「侮辱したから土下座して謝罪しろ」という訴えは裁判として成立しません。
 だから「名誉毀損でいくらの金額を支払え」と訴えます。

 せいぜいこれに付随させて、「謝罪の広告を出せ」とか、「訂正記事を掲載しろ」ということになります。
 民事訴訟ではこれはオマケと考えていいのだと思います。


 土下座や謝罪するというのは程度もあります。
 相手がどう謝罪すれば満足するかは客観的には決められません。



 こう考えると、あまり「謝罪広告」というものは判決に取り入れられることが少ないようです。

 これはその「広告の金銭的価値」があまりに曖昧で、賠償請求にしたらどの程度になるか換算できないからなのだと思います。
「謝罪広告はお金に換算しにくいから使えないから」と考えることできます。



 逆に「訂正記事」というのはよく聞きます。
 誤った情報を掲載してしまい、それを訂正して記事とせよということです。
 この場合、慰謝料がどのくらいであるべきか客観的に決められない場合、記事の訂正によって修正できるのであればそうすればよいということです。

 矛盾しているようですが、この場合「誤報はお金に換算しにくい被害の場合があるから、直接、記事訂正を出させる判決とする」ということになります。

 たいていのその訂正記事にはたいした謝罪がないのも事実です。

 お金に関する争いでないとしても、お金に換算する。

 これが民事訴訟の基本といえます。



首長の責任を問うには


 自治体の長である首長に対して、その執行の責任を問うべきことは論理的に起こり得ます。

 それがいかに政治的理想主義に基づくもの、政治信条に基づくものであっても、自身の利益のためでないように見えても、結果として違法行為を行なってしまったり、濫用が合った場合、公務員ひとりの場合には責任は問えませんが、首長については免責する理由はありません。

 地方自治において首長をチェックできるのは議会だけであり、それを越えた執行について歯止めはないからです。

 そして、そのような免責をできるような想定は地方自治にはありません。


 自治体というものをまとめる首長というものは、複雑に整理された地方自治のシステムの上に立つ最終的な責任者というだけであって、意思決定者としてはその意味は薄いものです。
 
 ですから、そこに本来は間違いはあってはならず、公務員の過失などという免責は許されません。
 結果としては自治体の行政措置のすべてについて、執行者である最終的な責任者である首長にその個人的な責任が問われるものなのです。



 わかりやすく言えば、地方自治というシステムは中央からすれば隷属的であったがゆえに今の時代には「地方主権」などと強調されて言われています。
 これを逆に言えば地方自治における首長というものは専制による過ちを行なう余地がないぐらいコンプライアンスのもとで働く立場だということです。


 そしてこれを裏付けるかのように、国会議員などとは違い、地方の首長に対しては免責特権は認められていません。

 その責任の上で、地方自治体の首長というものは働いているのです。


国家賠償法第1条

国家賠償法第1条
第1条
国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によつて違法に他人に損害を加えたときは、国又は公共団体が、これを賠償する責に任ずる。
前項の場合において、公務員に故意又は重大な過失があつたときは、国又は公共団体は、その公務員に対して求償権を有する。
 この法律は、たとえ公務員や行政の首長であっても、故意又は重大な過失があったたときは、所属する国又は公共団体から求償権を行使され、賠償させられるということです。


 公務員とも言えどアンタッチャブルではありません。
 基本的に「しくじったら返せ」という原則はあるのです。


 ただし現実問題として、これは公務員というよりも首長に強くこれが適用されるのが普通です。
 公務員個人の場合には、よっぽどのことがない限りは、故意又は重大な過失とはできません。
 なにしろこの公務員は単独で動いているわけではなく、監督者がいて決済がされ、最終的には首長が責任をもって採決するものだからです。
 これは公務員単独で行なう過ちというものはほとんどないシステムに地方自治はできているからで、よほどの犯罪的なことならともかく、通常の業務や窓口的な意思決定で公務員がその過失の責任を個人的に問われることはあり得ません。

 ならばむしろその過失の可能性を予見できなかった首長に責任があると言えるでしょう。


 しかし首長の場合、決裁者であり直接の執行者です。
 そして行政の最終的な責任者でもあります。
 その権限は大きく、ある種の独裁ともいえるほどの権限が付与され、議会のチェックがあるといえ執行にすら単独の判断で行なう余地が多くあります。
 そのことで最も特徴的なことを言えば、「専決処分」がそれに当たると言っていいと思います。
 ともかく、したがってその権力の大きさゆえに、何か行政に違法行為があった場合はその責任を首長が問われ、最終的に主張の個人的な責任として賠償責任が発生するのは当然のことなのです。
 「故意又は重大な過失」があった場合、首長は個人的にその責任を問われる。
 そしてその責任を議会、なかんずく市民は問うことができる。

 そう肝に銘じていていただきたいと思います。
 なにしろ、それだけの大きな権力を持っているのが地方自治における首長なのです。

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