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改 四号請求訴訟のブログ

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住民訴訟はボランティア


 「市長や公務員がその立場と求められる責任に違反した」などとして訴える場合、あくまで義憤、自分の志によるものでしかありません。
 原告となった住民には何も報酬はありません。


 訴訟の内容も「住民としてこれだけの損害を受けたから賠償しろ」ではありません。
 あくまで「市は毀損された市の資産を弁済させろ」というものになります。

 市民が善意、全くのボランティアで正義のために市長を訴えることになります。



 もちろん、そうしなければ自分の属している自治体の健全さは損なわれますので仕方がありません。

 住民としての負担は大きなものですが、でなければ行政自ら正してくれることはマレです。

 住民が立ち上がるしかありません。


 これを例えばほかの方法でやろうとすると難しいものがあります。
 議員に陳情しても是正はなかなかされません。議員というものは激しく追及したり責任を明確にすることを避ける傾向がありますし、政治的な謀略だなどとされてしまえばその議員が傷ついてしまいます。

 大衆受けしないとされてきたのか、訴訟という手段に訴えようとする議員は少ないようです。

 今の世の中を考えれば見当違いだと思うのですが、それだけの覚悟を持って政治をやっていただきたい。
 そうでなければ問題の根本を質すことはなかなかできないのですから。




 色んな住民訴訟が各地で起きますが、党派性が強かったり、いいがかりに近かったり、実務的な損害を取り戻すような住民訴訟は少ないです。

 都合のよい時だけプロパガンダに裁判が使われるばかりで、ごく普通の失策や違法な政策判断について賠償を求めるなどということはあまりされません。

 

 裁判でまず争うべきはお金の問題なのですが、住民訴訟というとどうしても政治アピールになってしまうのは残念なことです。

 自分たちの税金の使われ方がおかしければ、市民がまず動かなくてはならないのです。
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四号請求は難しい


 「住民訴訟の四号請求は難しい」というのはよく言われることです。
 確かに当事者と相手方、補助参加人と、深く考えると難しいところがあります。
 普通のプロの弁護士でもなかなか正確に理解している人は少ないです。


 「間接的な訴えというだけだろ、別に難しくはないじゃないか」
 そう思われるでしょうが、そこが実は落とし穴だったりします。
 離婚での浮気相手とは、住民訴訟での原告と被告の関係は立場から違っています。


 議論になりそうな点を列挙してみましょう。


 1. 住民は市の利益のために提訴した。市はこれになぜ反論するのか。

 2. どうせ負けても市は改めて市長と争うのだから前段階の住民訴訟は無駄ではないか。

 3.市長は市の代表者だ、その市長が個人的に訴えられても市長の立場を公私混同させて逃れようとするならその歯止めはどこにあるのか。
 
 4. なぜそれまで市は市の財産保全のために市長にすぐに請求や提訴をしなかったのか。

 5. 市側は住民の訴えにディベートのように反論するという。それは真実を明らかにするためだという。しかし、市側が自力で調査なりすれば簡単にわかることをわざわざ住民と争う意味があるか。

 6. 自治体としての市は、市民ものである市の財産管理の責任がある。となれば、住民が「請求しろ」と言っているものに対して、どこまで抗弁すべきなのか。

 7. 住民側からの訴えに反論しても、負ければ今度はその住民の訴え通りに市は市長に請求して払わなければ争いになります。このような手の平返しに矛盾はないのか。


 以上、ざっと挙げてみました。

 これらの考えられる議論を考えても、どれもそうそう答えを出すのは難しいと思います。


 つまり、

「市側と住民が協力してディベートゲームをし、真実を明らかにする」

 この原理を理解していないとつい混乱してしまうのが四号請求なのです。


 もちろん、それでも、ディベートのように住民の主張に対して「あまのじゃく」的に反論することの歯止め、どこまでやったらいいのか「程度の問題」が定められているわけではありません。

 そのため、つい市側の抗弁は住民主権さえ忘れがちになります。


 そこがこの訴訟に関して当事者が持つ責任というものなのですが、自治体から委任された代理人である弁護士がどこまでそのような節度を保つことができるか、難しいものがあります。

 だからこそ、ここを本来なら議員なり議会なり市長なりが関わって、暴走しないようにしてゆかねばならないのですが、「法律のことは専門家の弁護士に任せているから」などと関わろうとしない事例は多いです。

 そのためにおかしなことになるのです。



補助参加人とは


 四号請求で「市長に請求しろ」という訴えをしているので、市長は直接訴えられているわけではありません。

 ただ、いずれにしても訴訟は市長に対する請求を巡ってのものです。

 誰がどこに対して訴えるのが適切かという、「法的適格性」のことがあるので、市民が直接市長を訴えるわけにはゆかないというだけです。


 このため、住民訴訟は市長の違法性を争うことになり、内容としては直接に市長を訴えたと同じような主張をすることになります。

 ここで
「市長に故意又は重大な過失があるかどうか」

   が立証されねばなりません。



 一方、市長としてはこの裁判をただ無関係として放置するわけにはいかないでしょう。


 そういうわけで市の代理人弁護士から市長に対して「訴訟告知」が行なわれ、「あなたに関係した訴訟が提起されている」と通告されます。

 市長はこの住民訴訟に関係がある人物として参加することができます。
 これを補助的な参加、補助参加人と言います。


 自分が直接訴えられているわけではありませんが、内容は自分のことなので主張すべき点があれば市長は割って入って主張する権利が認められています。


 するとこの場合、市長は個人としてこの訴訟に参加する異なります。

 通常は弁護士を個人的につけて主張を展開します。あくまで個人として「自分に請求させることはできない」などと主張するわけです。


 もしこれをしないで、市から委任された弁護士が市長の主張まで代弁してしまうとなると、これは公私混同です。
 市を市長が私物化していると言われても仕方ないでしょう。


 なぜなら「市に弁済しろ」と言われているのは個人としての市長なのです。


 客観的に見て、市長が個人的責任を負わねばならないのかどうか、その真実を追究する裁判なのですから。



 公私混同と私物化。

 弁護士費用を市長が個人的に払いたくないからなのか、そういう例は少なからずあります。

 権力が自分の過ちを認めず、訴えられてもその権限を自分のために使う。こういうことは起きています。

住民訴訟に住民側が勝つと


 四号請求での住民訴訟に住民側が勝つと、判決としては「市は市長が毀損した市の財政いくら分を支払うよう市長に請求しなさい」という判決になります。


 これは市の損害を取り戻すことが正しい措置であると裁判所から判断してもらったことになり、この判決を受けて市は市長に対して請求を行ないます。
 法的に「市長へ請求することは妥当である」とされたわけです。


 この段階では手続き的には「市長は支払え」という判決が出たわけではありません。
 「市長は支払うべき」であり、だから「市長に請求することは妥当である」という判決なのですが、市長は直接の相手方ではありません。


 市長はこの住民訴訟ではいわば間接的な関係者でした。
 離婚の訴訟で言えば浮気相手ということになります。


 市は市長へ「あなたのことで裁判になっている」と「訴訟告知」というものをしています。

 言い分があれば市長は自分で弁護士を雇い、主張を割って入ってすることができます。

 このような市長の立場を裁判では「補助参加人」と言います。



 判決によりすぐに市長に弁済義務が発生するわけではありません。道理は尽くされており、当事者ではなく補助的な参加であるが、すぐに支払う意思があれば市長は弁済する妥当性があるというだけです。

 こうして住民の自治体に対する役割は終了します。



 いきなり市から市長への裁判を起こすということにはなりません。


 だからまず、市は市長に弁済を請求します。

 市長がこの請求から60日以内に支払いに応じない場合、自動的に市が原告となって請求訴訟となります。
 これは法律で定められた手続きになります。

 この流れを止めることはできません。


市側の抗弁は偏りがち


 住民は自身の報酬や利益を目的とせず、自治体や法治主義のために市長の犯した違法行為について市への弁済を求めることになります。

 直接の弁済請求は法的な立場として疑問があるということ、また濫用の惧れもあることから、まずは市側とディベートをして、主張に反論をぶつけてみて、それで正当かどうかを裁判所に判断してもらおう。それで市側が負ければ、それから市長に請求すればいいではないか、そういう趣旨になりました。

 
 ただ、この態度があまりに偏り過ぎれば、逆に市側がその抗弁権を濫用するということにもなってしまいます。

 市民が自治体の利益のために訴えているのに、行政側はこれを圧殺するような私物化はあってはなりません。


 しかし市側の抗弁は偏りがちです。
 とにかく住民の主張など聞かない、市長のやったことに責任など取らせたら今度は別の政治家や公務員の違法行為についても賠償させられてしまうから困る。どうしてもそういう保身をしようとする傾きは出てしまいます。



 だから、本来は住民訴訟では市側も法的に高潔な弁護士が代理人となって、「これは本当に市長に請求すべきかどうか」という真実を追究するような姿勢が必要です。


 でなければ、

 住民が自治体のために働いているのに、当の市はその不利益のために抵抗するというおかしな図式になってしまいかねません。



 住民に対して職員が「お客様」などと呼びかける自治体が増えています。

 謙虚な姿勢は言葉だけでなく態度でも必要だと思います。


 

被告となる市の立場


 こうして、市を相手にして住民訴訟を提起することになります。
 裁判は相手方が応じて争わねばなりません。
 主張をしなければ原告の言い分がどんなに勝手なものでも通ってしまいます。


 では住民訴訟の場合はどうでしょうか。
 市側も同じように主張をしなければなりません。


 住民訴訟を起こされると、よほどの政治的判断があった場合は別として、市は自動的に被告として原告と反対の立場を取ります。
 これは「原則」としては「何が正しいか判断するための反論」になります。

 住民は市政のために訴訟を提起し、それに応じる自治体もまた市政のために反論しなければなりません。
 市が「市長を守るため」などと、ひたすら市民の訴えに反論したり、やみくもに原告に反論すればよいというものではありません。


 しかし、このあたりは現実にも誤解されているケースが多いように思います。



 行政という実務のことを考えてください。

 いちいち住民訴訟を起こされたり求められるままに、「わかりました」といちいち裁判や請求を起こしていたらどうでしょう。
 負けたり勝ったり、それが本当に必要なことなのか判然としないまま争いをすることになってしまいます。
 こうしたことは政治的に濫用される可能性もあります。

 本当にその請求が妥当であるか法的にも確かめねばなりません。


 だから、住民訴訟の趣旨が法に照らして正しいかどうか、裁判所で判示してもらおう、そのために原告の主張に反論してみて、それでも原告の訴えが正しいとされたら市長に請求を行なうということになります。


 住民と自治体は何かの利害を巡って対立しているわけではありません。


 住民は市長によって毀損された自治体の財産を取り戻そうと代弁しているのです。

 この意味で、市側と住民側の互いが協力して法廷で被告と原告の立場に立ち、立証と反論によって真実を明らかにしてゆこうというのが住民訴訟の原則なのです。


 そのために、ある種のディベートのようなことにはなります。
 住民訴訟に対しては市は反対の立場を取り、これこれこうだから市長にそこまでの請求はできないのではないか、などと反論することになるのです。


 これが政治的に偏ってもいず、自治体がきちんと機能している場合です。


 ただ、どうしても政治家の保身やことなかれ主義や委任した市側の弁護人の勘違いから、とにかく「生意気な住人の訴えはなんとしても否定しなければならない」などと詭弁的な反論が弁護士によって行なわれてしまうようです。

 「勝ち負けのゲーム」をしているだけの弁護士としてみればごく普通のことなのですが、訴えた住民からすれば、まるで腐敗した市が住民の意見を圧殺しているように見える、市長の過ちを誤魔化そうとしているように見えることがあります。



 それは誤りです。

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