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改 四号請求訴訟のブログ

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国賠法1条2項の規定について


 行政の長である市長は、市のために働くことを負託された執行長です。
 法に従って善管注意義務とともに慎重な執行をしなければなりません。
 例えば市長が市の費用の節減をしても個人として成果報酬が支払われることはありません。
 これに対し、首長がその公的責任と職務義務に違背し自治体に損害を与えた場合には、『故意または重大な過失』として個人に対する求償権が発生します。

 これはどういうことでしょうか。
 国賠法1条2項にある規定は、「公務員は法治主義に基づき法や法令を遵守して執行するもの」という公権力に裏づけを与えるものです。


 それは「自分の利益が目的でないなら公務員の違法行為に責任は及ばない」などという法理ではありません。

 むしろ違法行為を行って求償権が成立すれば、それは「公務員としての行為ではない」とされると理解すべきと考えられます。
 つまり、法と法令を遵守すべき首長の責任と義務から逸脱して行なった違法行為は「首長」としての違法行為であろうはずはなく、あくまで個人の故意または重過失として賠償責任を負うとの解釈ができるのです。

 首長の執行は公人としてのものであり個人としてのものではありません。
 これに対し、違法行為は『故意または重大な過失』によって賠償義務を個人に発生させます。


 なぜなら、「自治体の首長という権限者は違法な執行を行わない」というのが法治国家の前提に他ならないからなのです。




 私は国賠法1条2項の規定についてそう理解しています。



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権利と義務、その法理

こんな話があります。

 「バブル以降の資産価値の低下で相続しても登記が行なわれていないため、持ち主がわからず固定資産税が徴収できない空家や空き地が増えている。所有者がわからない幽霊不動産が増えて自治体が困っている。」


 これを郵便に例えれば「宛先人不明につき配達できませんでした」と言うこと。

 持ち主が不明なら普通に市や自治体が差し押さえて、売却するなり市民のために使えばいいでしょうか。
 しかしこれがなかなかできません。
 駅の忘れ物でさえそうです。「これは誰かが忘れたんだから持っていい」安物の傘でもそんな駅はありません。
 放置された所有者不明の不動産問題は、法律を作らねばきちんと対処はできません。
 

 親族や縁の者がいて相続の可能性、その権利があるのなら、彼らに連絡を取らねばならない。
 おいそれと強制執行したりはできない。税が滞納していたとしても、差し押さえをしてせいぜいその金利を積み上げてゆくしかないわけです。

 
 それが法治主義です。

 それはめぐりめぐって必ず人々の権利を守ります。


 親族に相応の資産があるというのに本人だけ自己破産して無罪放免ということはない。
 もし負債を抱えなければ相続していたはずの親族らがいるのに、この弁済に一銭も協力しないでおいて自己破産などできません。




市民の税金は返ってくるか

自己破産というもの。実はそれほど簡単ではありません。


 自己破産するとなったら、まず分割払いで支払えないか、そして親族、誰か縁故の者はいないかと必ず言われるものです。


 これはよくネットで言われる議論とは矛盾しています。
 すなわち、「親は独り立ちした子供の責任なんか取る必要はない」とか、その逆、つまり「あくまで個人の責任だ」などという言説です。

 実は日本はそのようなシステムではありません。



 当たり前の話。
 破産という手前勝手な宣言が「逃げ切り」の手段として横行するというなら法治などないからです。
 資産隠し、飛ばし、差し押さえ逃れ、そういうさもマスコミ受けする話題はありますが、容易に逃げられるものではないということは言えます。

 親族らが一切の協力をしないでおいて本人の破産が認められるなどということはありません。

 ましてや市民の税金です。

 

 求償された時のための、議員や首長のための保険というものもあります。


首長への弁済請求、この先、責任は軽くされるのか


 去年のことですが、国会で審議があり、阿部先生も法律論の権威として参考意見を委員会でお話されたということです。

 今、国会では今回の四号請求のような訴訟について一定の枠を設けるという話が出ているようです。

 これから首長への弁済請求は一定の制限を受け、その責任を軽くするという動きがあるということなのでしょうか。



 私はそのような捉え方は本来は違うと思います。



 2012年、最高裁が判示したのは「首長に対する議会の債権放棄」についての考え方でした。

 例えば国立市の例ですが前市長を継いだ次の市長もまた上原市長の側の政治派閥で、彼らは「上原元国立市長に対する求償権は放棄する」との議会決議をしたのでした。

 市長の責任とその弁済が法的に確定しているのに、行政が仲間うちを守るために「債権放棄」という荒業で責任逃れをしようとするのです。

 それは議会の暴走であり、政治が司法に介入することに他なりません。


 この債権放棄というやり方これまであまりに多く、問題となっていました。
 それが問われた裁判が最高裁にまでゆき、最終的には「よっぽどの理由がなければ債権放棄など違法である」という判例ができたのでした。
 

 この時、同時に最高裁は、「どういう場合には債権放棄できるかが曖昧である」との判断をしめしています。
 つまり、立法府である国会に対し、これに関する法律を整備するよう命じた恰好になるのです。


 そのための公聴会というか、委員会に阿部先生は呼ばれたのだと私は理解しています。


 最高裁判決を受け、これまで曖昧だった首長への弁済請求がはっきりとし、四号請求はもっと市民による執行長への監視という形で活用されようになると信じたいものです。

 地方主権の時代と言われながら、法治主義を軽く考えるような首長がいたとしたら、それはとても怖いことなのです。




地方公共団体の長等の損害賠償責任の見直しについて

地方自治法等の一部を改正する法律案が審議されています。
「地方公共団体の長等の損害賠償責任の見直し」というもので、これについては「市長などの責任を軽くし、暴走に対する歯止めをなくしてしまうものだ」との批判が出ています。
 私もそのような軽減などあってはならないし、もし責任が重過ぎるなどとしてこれを軽減しようというなら、市長の権限にはもっと多くの制限を設けなければならないと考えます。

 大きな権力を与えておいて、その責任を軽減させたほうがよいという理屈は成立しません。
 しかし、これは議論としてはよいのですが、政府がこれを審議している理由はなんでしょうか。

 それが先の最高裁判断であり、「求償権成立のためのはっきりした要件」を法律に明示すべきであるという司法の要請に立法が応じたのです。
 だから、「見直し」は必要であり、その内容に間違いがなければよいのだと私は思います。


 勝手な議会の「債権放棄決議」には、これまで明確な歯止めがなかったのです。
日本弁護士連合会がこれについて意見書を出しています。


最高裁の債権放棄への判断

これは日本経済新聞の記事です。

 あまりに横行する前市長への債権放棄でしたが、この違法性を訴え最高裁で判決がありました。
 これまで基準が明白でなかった「議会による市長の債権放棄の決議」について判断をしています。



首長の違法公金支出、議会の損賠請求権放棄に制約 最高裁判断 

2012/4/21付


https://www.nikkei.com/article/DGXNZO40633640R20C12A4CR8000/


 要約すれば「よっぽどの事情でもない限り、放棄決議は違法」ということです。

 市民が税金を滞納すれば差し押さえられます。
 前市長が払わないなら当然にこれをするべきです。
 市長を特別扱いする理由などどこにもありません。



 この最高裁判例が出たことにより、もし議会が理由もなく債権放棄などという決議をするなら、その現職の議員らを相手にした住民訴訟もできると思います。

 その前には必ず住民訴訟の前置条件である「監査請求」をしなければなりません。



 監査請求も住民訴訟も、たとえ議員の立場でもすることができます。
 債権放棄は違法な議決となりますから、被告は「議会」でなく「議員ら個人」ということになります。

 他の自治体で議員が訴訟を起こしているケースはあります。


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