忍者ブログ

改 四号請求訴訟のブログ

Home > ブログ > 訴訟と裁判

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

控訴理由書(市側)

 今回は国分寺市が敗訴しましたので、市が控訴し、まず控訴状を出しています。

 「控訴理由書」というのはその控訴についての理由と主張の詳細についてです。


 地裁判決を軽んじているという意味なら、司法制度を誤解しているとしか言えませんが、市長としては地裁よりはその上の控訴審で確定するほうが前市長へ請求しやすいと考えたのでしょう。
 政治判断となることをできるだけ避けたかったのだと想像しています。


 
国分寺市の弁護士としてはかなり論点は絞ってきたようですが、どれもこれまでの主張の繰り返しの部分が多いように感じました。
 
 二点、
 ・「前市長星野は議会への働きかけをしていない」だから、一審東京地裁の判決は誤りである。
 ・求償権は星野が営業妨害をしていなかったら払ったはずの費用と相殺されているから、あっても存在しない。

 こんな感じでしょうか。



 控訴する以上は「新証拠」がないと相手にされなかったりしますので、証拠書類を出して、それらしくはしています。
 それから判例を出して、「法律的議論である」と高裁での争いに落とし込めるようにはしています。

 いずれも弁護士としてはよくあるやり方のようです。
 何事もお作法はあるということです。


 高裁は合議制ということです。


PR

逸失利益をめぐる争い

「逸失利益」というものがあります。

これは「得べかりし利益」というもので、損害賠償請求でよく登場する考え方です。



 本来だったらこれだけの利益を得ることが出来ていた、その機会を奪われたのだからと、得られるはずだった利益を想定し、経験則に基づいた計算から損害賠償の金額を求めます。

 交通事故でもこういう争いが起きます。

 「想定」と言っても、「事故がなくてもどうせ早めに死んでしまった可能性がある」などという主張はなかなか通りません。
 末期がん患者だったとか議論のあるケースはあるとは思います。
 こういう想定をするのが逸失利益をめぐる争いです。


 国分寺市代理人弁護士も原審で、借り入れる必要がないぐらい儲かっているとか、過大過ぎる想定であるなどと各種の抗弁をしています。



 しかしちょっと考えてみるとと、本件での抗弁は「国分寺市は事業者の営業する権利を奪い、利益を得る機会を簒奪した」ということをおのずから認めていることになります。

 一方で「妨害する意思はなかった、あくまで副次的なことだから責任はない」とトボけていても、「こんなには侵害していない」とその大きさについて抗弁している訳ですから違法性を認めていることになります。


 法曹関係者であれば抵抗はないのでしょうが、一般的には矛盾があると思えます。
 法廷での争いとしては、そういう抗弁はあってよいとされます。


 裁判官がどんな心証を持っているか、それを見ながら争うポイントを絞ってゆくのが法実務というものなのです。



 ただ、刑事事件では普通にあることだと思います。
 アリバイや犯意の否定の主張を被告人がすることで、主張に矛盾をきたし自白につながります。
 民事でもこういう「自白」というのは認定されることがあるようです。



市側弁護士について

国分寺市側の弁護士、かなりきわどいことをなさっていると私からは思えます。
 今回の控訴で市にはどんな説明をしているのでしょうか。

 私は一審で勝訴しましたが、弁護士は辞任していましたから費用の請求は国分寺市にされることはありませんでした。
 対して、市の代理人となった弁護士は敗訴してもその報酬を受け取っているでしょう。


 この国分寺市代理人の弁護士がどれだけエゲツナイかというと、もう原審から特徴的だったと言わざるを得ません。


 他の弁護士に聞けば「かなりエゲツナイとは言える」とは言われています。





 営業を妨害されて訴えた事業者は当初は14億近くを国分寺市に請求しています。
 確かにこれは無理筋でした。逸失利益としてはあり得ませんでした。(難しい話なので別の機会に譲ります)


 結局、裁判では計算し直されて減額されましたが、市は負けて和解勧告を受けました。
 支払うことになった賠償金はそれでも4億5千万と巨額です。
 控訴した市は高裁から「和解しなさい」と宣告されたのでした。


 で、この市側の弁護士の報酬はどうなったでしょうか。
 敗訴です。損害賠償請求の代理人となり弁護して、敗訴したのです。

 ところが、この弁護士は通常報酬の他に「成功報酬」を受けとっています。

 負けたというのに、少なくない成功報酬が市民の税金から支払われたのです。
 5千万円ぐらいと推定されます。


 「14億を4億5千万にまけさせた結果になったからその成功報酬だ」

ということになります。



 この件の詳細は情報開示は拒否されましたが、負けた弁護士が通常の報酬の他に成功報酬として大きな金額を得ていることは事実です。
 これは市民の感覚としては受け容れがたいものがあります。

 損害賠償請求を勝ち取った4億5千万の弁護士の報酬より、負けた市側の弁護士がその報酬をより多く貰っているのです。

 これに市は違和感はないのでしょうか?
 弁護士の報酬は自由化されているということなのですが。




 こういうところもひとつ、被告の国分寺市は「法的見識に欠ける」と感じるところです。
 この弁護士と交渉もせず、裁判に負けたというのに、市は言われるままに成功報酬を払っているのです。

 これを「世間知らず」と片付けてしまえるでしょうか。
 市民の税金です。


 少なくとも、12万人の国分寺市民の財産と生命を預かるには心もとないと言わざるを得ません。



 確かに、もとはと言えば星野前市長の違法行為によるものです。
 弁護士への成功報酬の支払いは違法とまでは言えません。
 それとも、本件での前市長の責任の重さを感じるしかないのでしょうか。


判決トピック 被告弁護士の最判引用のこと(詳細)


 被告側弁護士は最高裁判例を引き合いに出し、「これまで星野前市長に請求して来なかったことは証拠を入手できなかったからであり、そのような証拠は見当らないのだから前市長に請求しないことは正当なことである」との主張をしました。

 これに対し、原告が被告の主張に対して指摘した部分を抜き出しました。
 (《註》としたところです。)
 これは訴訟での準備書面からそのまま引用しています。
 分かりやすくなるよう改行だけを加えています。



>(略)・・・少なくとも客観的に見て当該債権の成立を認定するに足りる証拠資料を入手し、又は入手し得たことを要する、と解されている。
 
《註》 原告は、星野が議会に働きかけて本件条例を可決成立させ、図書館設置ができるようにして図書館の設置を実態的に行い、係る風営法の法規制を利用して本件パチンコ店の出店の阻止をした「実行の主体」であることを示してきた。これにより補助参加人星野への求償権の存在は客観的に見ても明らかである。
 星野に「国分寺駅北口再開発事業が頓挫する危機感があった」などという主張は、前市長星野の言い逃れでしかなく、その危機感があったことを裏付ける当時の影響評価調査の存否、星野の東奔西走の活動や交渉、事業者らと直接折衝したという事実はどこにもないのだから、そのような主張は成立しない。(甲46号)
 このような、事実として「ない」ものを被告が「ある」と判断していたことは誤りであり、市は客観的に当該債権の成立を否定させる証拠資料を入手できていなかったのだから前市長星野へ求償を即座にすべきだった。これは本訴の主張においても同じ趣旨である。
 
 前市長星野の違法行為は、XXXXの出店を阻止しXXXXの不動産賃貸事業を妨害したという結果についてであり、市はこの損害賠償を星野に代位して支払った。これほどの明白な故意または重大な過失に求償がされなくては、地方行政が成り立つものではない。
 本訴において原告は充分な証拠に基づいて主張と事実を明らかにしているのだから、この立証をもって被告国分寺市は、当該債権の成立を認めるための充分な証拠を入手したとすべきなのである。
 
 なお、被告が引用した当該最高裁判断(H21.4.28)は以下のものである。(平成20(行ヒ)97)
当該判決は、 
 「>(略)・・・不法行為に基づく損害賠償請求権の不行使を正当とするような事情が存在することについて首肯すべき説示をすることなく、同請求権の不行使が違法な怠る事実に当らないとした原審の判断には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。」としている。
 
 つまり、「充分な証拠がないからゴミ施設事業者に談合損害の賠償請求はしない」などとした尼崎市長に対し、その証拠は市が容易に入手することが可能であり、またもし市がゴミ施設事業者への求償権を否定するというならその求償権を否定する証拠を示すべき義務は被告尼崎市側にあるとして差戻した判決と解される。




 原告の指摘は以上でした。

 ここで、被告が引用していた最高裁判例は、「談合事件」という、より難しく複雑な事件についてではありましたが、誰に立証責任があるかを示したものとして注目できるものがありました。

 だから、この最判を引いた被告側弁護士の主張を見て、私は、とにかく原告住民の訴えをしりぞけたいあまりに、逆に被告弁護士としてはヤブヘビの引用をしてしまったのではないかと思えたものです。



 ここはまさに、戦いで相手が失点をした瞬間、オウンゴールを見た瞬間だったように思います。
 きっと職業としての弁護士であるなら、ここを「面白い」と感じたことだろうと私は思っています。彼らにとっては訴訟は勝つか負けるかのゲームなのですから。


判決トピック、立証責任


 今回の住民訴訟では注目される多くのことがあったと私は思っています。

 私としては星野前市長の違法行為の動機の解明と、これまで見過ごされてきた「市長部局による文書の改ざん」を発見できたことが大きなものでした。
 これにより、「星野前市長が違法行為に及んだ動機」と「議会がこれに応じて条例を成立させたキッカケ」について説明がつきましたし、市長の専決処分濫用に対する惧れということと相俟って、事件について一定の解明できたと思っています。

 しかし、これは判決としては直接取り沙汰されることはありませんでした。


 「訴訟とはそういうものだ」と言ってしまえばそうなのです。






 しかし一方で、今回の判決にも注目される点がありました。

 「すでに市は損害賠償金を支払った時点で星野前市長に求償権があることを知り得たはずである」という判示があったことです。

 
 被告の市側弁護人が展開した主張に対するものなのですが、この部分への言及はまさに四号請求の原理そのものであったと私には思えます。

 被告は次のような主張をしています。
 それは、
「市は確たる証拠を入手できなかったのだから、被告である国分寺市は財産管理を怠っていない」という趣旨の主張でした。



 これに対して判決は、「すでにパチンコ事業者に賠償させられた段階で求償権の発生を知り得ていたはずである」として、これを否定しています。



 これは考えてみればその通りで、賠償金を支払っておきながら、その違法行為の原因が分からない、議会だか市長がやったのか判然としない、なぜ賠償金を払うことになったかよくわからない、しかし市のお金は出ていきその理由はわからない、そんなことはあり得ないことないのです。

 「誰がやったのか分からないのに被害だけがあり、その認定と支払いはされている」
 そんなことはあり得ません。



 そして私からすれば、加えて「今こうして住民訴訟で争っているうちにも求償権が存在し、財産管理を怠っていることを知り得る材料となっているではないか」とも主張したい部分ではありました。




 つまり、「市には前市長への求償権がない」などという主張をするというなら、市にはその立証責任が強くあるのだということです。
 そしてそれは、「求償権があるとは必ずしも言えない」などという曖昧な主張では済まないということです。
 「これこれの理由で求償権は存在しないのだ」と、被告となった市が明確に立証すべきなのです。
 被告代理人弁護士はそれをほとんどしませんでした。


 なにより、住民などより行政当局である市はそれを容易に調べることが出来るのです。
 被告が引用した最高裁判例は、そもそもそれを判示したものであると私は指摘したのでした。


前市長への訴訟告知

 本件では被告弁護人から星野前市長に訴訟告知がありました。
 しかし星野は補助参加人とはならず、公判にも全く姿を現していません。

 被告の市側弁護人は「議会の方が妨害の意思が強かった」と主張したりしていますし、原審で事業者から訴えられた時のような前市長と同じ主張をしているので特に言うことはないと考えているのでしょうか。


 営業妨害の損害賠償請求を起こされた原審でも、前市長は「議会が勝手にやったこと」という主張をしています。
 執行者は市長ですから、もともとこんなことは通りませんが、誰に責任があるか分からないように抗弁をして賠償金の支払いを免れようとしたということです。
 とても責任ある行政の立場とは言いがたいものがあります。



 そして市長は裁判で尋問をされ、
 「まさか、議会がですよ、日頃から私を批判している議会が、まさに私の考えていたようなことをやってくれるなんて思ってもいなかった」
 などと白々しく弁明をしています。

 つまり「日頃から議会と星野前市長は対立関係にあった」というものです。
 「だから、前市長が働きかけて議会が動くはずがない」という主張へとつながります。



 私は今回、その嘘を見抜きました。
 まさに、「日頃から対立関係にあった議会」は、星野前市長の勝手な専決処分をさせたくなかったから条例の可決成立に応じたのです。
 やらねばどうせ前市長が勝手にやってしまうところだった。
 そのような打算があったのだとできます。



 訴訟参加するかどうかは自由とされていますが、本件は住民訴訟です。
 本件住民訴訟で、真実を明らかにするために市が費用を使い、原告住民とは反対の立場を取って抗弁をしてきたまではいいとしても、それ以上は前市長個人が自分の責任で主張と抗弁をすべきなのです。
 これを国分寺市側はよく考えるべきだと思います。

PAGE TOP